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コラム「地震発生の昼下がり、胸騒ぎの予感とひとの本能」by a.k(2015/05/26)
「地震発生の昼下がり、胸騒ぎの予感とひとの本能」

いやぁ~、びっくりしました。

先程、井の頭公園の木立のなかで森林浴を楽しんでいたのですが、胸騒ぎが来て「おやおや」なんて思っているところに

ドドドド…!

と地震が来てしまいました。

とりあえず、皆様無事でしたでしょうか?

木々のなかでの揺れを味わったのははじめてのことですので、「この場合はセーフなの?アウトなの?」と
一瞬焦りました。

元来のカブトムシ気質からか、
「木々に押し潰されて…というのならばむしろ本望?」と自分に問いかけてみましたが、やっぱりまだまだ死ぬのは勘弁、という返答が。

とにもかくにも、自然に囲まれたなかでの地震というのはよりネイチャー感が強い、そしてやはりお天道様の下であっても地震は怖い、ということを学んだ本日でした。

鬱蒼とした木々のなか、点在するベンチにはa.k.ひとり、そして30メートルほどあちらのほうでひとり太極拳のようなものの練習に勤しむ見知らぬ白人男性がひとり…という状況でしたが、揺れがきたあとに互いに
「…揺れましたね!」
「揺れたね!」
と、当たり前のことを確かめ合うという…。

あの、天変地異のときには見ず知らずの人ともすぐ連携をとろうとする人間の本能みたいなものってなんなのでしょうね?

しばらく震度がいくつだなんだとやり取りをした後、ふと我に返って
「では…」
とばかりにめいめいの持ち場(?)に帰っていきましたが、ひとって確かめ合いたいものなのだなぁ~と、しみじみ致しました。

いざというときというのは、やはり心細くなるものなんですね、大人であっても!



と、いうことで本日は大好きな井の頭公園へ行くってぇ~のに、なんでこんなに胸騒ぎがするんだろう?
直感が「行くな」と言っているのかな?
…なんて、出掛ける前から変な感じだったのですが、どうやら地震の前触れだったのですね。
ようやく腑に落ちてスッキリ致しました。


まちなかへ移動して混乱していないかを見渡すと、とりあえず大事なかったようでそちらもひと安心。

今日は「直感」についてを書いてみようかな?なんてうっすら考えていたのですが、まさか己れの直感が発動する事態になるなんて思いもよりませんでした。

あ、そうそう、この「直感」ですが、人間誰しも普通に備わっているものだそうで、あとはいかに自分でそれを磨いていくか、ということがミソのようです。

つい先だっても直感のプロ、チャネラーでありヒーラーである方がお話しされていたことですが、それを磨くにはやはり自分の直感をまずは信じてみて、ことが起きたのちに検証する、ということの積み重ねであるということでした。

今ってそういうセンスを磨くこともとっても大切な時代かもしれませんね。

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コラム /「恋すらも自家発電、エコな私と春の関係」by a.k.(2015/04/28)


皆様、こんにちは。

ようやく春が訪れたかと思えば意表を突くほどの気温上昇、慌ただしいことこの上なし!な、2015年もそろそろ五月。

 

さて、そんなことを言いつつも木々の緑が色濃く繁りはじめ、外を歩くのもなんだかウキウキしてしまうような自然の変化にはただただ喜びしかありません。

 

人間、あまり欲などかかなければ

「晴れた!わ~い!」

「花が咲いてる!わ~い!」

そんなことで十分“幸せ”とやらを感じれるもののようです。

 

加えて私 a.k. が近年より強く感じるのが、「春は恋の季節」というもの。

 

これは一度周りの人々に聞き取り調査をしたいくらいなのですが、どうも春という季節は、動物たちや花ばなが繁殖のために華やいだり騒いだり浮かれたりするだけあって、“ 理由もなく ” 人の心にも「こ~い~しちゃったんだ~」と歌いたくなるような作用をもたらすパワーをお持ちのようです。

 

というわけで、ここ数年私は春になり桜の満開を見届けたあたりから、所在不明の、対象者不在の、「こ~い~しちゃったんだ~」を謳歌する4・5月です。

 

春の暖かな夜風などに当たりながら、大好きな甲州街道のケヤキ並木の下をぷらぷらしたり、それ以上に大好きな上野公園の大木の下をぷらぷらしたり、まぁぷらぷらばかりしている私なのですが、そんな時に自分でもビックリするほどの「至福感」に浸ってしまうのです。

 

どうしよう、私ったらこんな“お手軽”なことでいいのだろうか…?

 

理性の部分の自分自身は、そのように「待った」をかけてきたりも致しますが、変な話、他人様を巻き込まないだけまだ無害でよろしいのではないか?とも考えております。女性ならば共感して下さると思うのですが、恋している期間というのはお肌もツヤツヤ、身体も健康、万事快調!でいられますしねぇ?

 

あ、そうそう、そこから派生して最近気付いたことなのですが、恋というものはまず自分が自分にある程度「恋しちゃってる」状態にないと、他人様に対する恋も発生しないようです。

 

よく、「恋したいけど、したくなるような相手がいない」などというしょっぱい意見 ( というかボヤき ) を耳にしますし、それは時には至極尤も!と同感も致しますが、試しにそんな絶望的状況にある時に「せめて自分自身だけには恋しちゃお!」とばかりに、大いに自分に酔ってみて頂きたい。

 

そうすれば貴女…!

 

多分それこそが「引き寄せの法則」の極意、とばかりに気付けば気になる異性 ( もしくは同性でも ) の方に巡りあっちゃうはず!( 責任は持ちませんが… )

 

それはまず、道を歩いて好みのイケメンとスレ違う…くらいのことから現れはじめ、やがては貴女はカラオケでやたらにYuiの名曲「恋しちゃったんだ」を歌いたい衝動に駈られるようになるはずなのです!

 

もしそうなったら、是非、私もそのカラオケ大会にお誘い下さいまし。

 

この a.k. めが、全力の物真似でユーミンの「真夏の夜の夢」を歌って差し上げましょう!( これが結構似ている )

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コラム/ビバ、アセンション!ところでアセンションってなあに? by a.k(2015/03/25)

皆様、ご無沙汰しておりました。

これを書いております只今は春分の日でありまして、つまり2015年3月21日なのでありますが、どうもスピリチュアル世界では昨日今日あたりが地球のアセンション的分水嶺であるらしいとか。

それがどういうことなのかは、そもそもワタクシめが普段好奇心で覗いているスピリチュアルブログの記事頼りな情報のため、ハッキリ言って何の裏付けがあってのことかは定かではありません。

ただそれを書いておられる方にしてみれば恐らくは超真剣、そしてまぎれもない真実であろうことがブログ越しにビンビン伝わってきます。と、いうことで少しでもこの地球世界を良きものにしたいという情熱を胸に “ 高次元のことも分かっちゃう ” ような感度のよろしい人々は、この時期祈りに祈っているようです。

そう、少しでも穏便にアセンションが成就するように…!と。

人様のそうした奮闘を垣間見つつ、次元がどうのということに不感症なワタクシなどは、まるで花粉という目に見えない敵と闘うかのごとく、気持ちだけは漠然と臨戦体勢をとってガヤトリーマントラ(その愛読しているブログにて知ったマントラ)をたまに唱えてみたりしています。( そのブログが気になる方は「ガヤトリーマントラ」で検索かけたらもしかしたらヒットするかもしれません。ワタクシが勝手に紹介するのもアレですので… )



さて、アセンションアセンションと言ってはおりますが、まずこのアセンションとやらが漠然として本当のところよく分からないのです。“ アセンション=次元上昇 ” … 言葉ではそう言いますが、分からないのは次元が上昇したら実際のところどうなるのか?ということです。

このワタクシのなかに愛が満遍なく行き渡り、優しい人間に変貌するのでしょうか?

いつも嫌味なあの人が笑顔溢れる雑味のない人になってくれるのでしょうか?

雑踏でぶつかっても「失礼」のひとこともない都会人のマナーが一斉に改善されるのでしょうか?

お金など一切必要のない世の中になるのでしょうか?

はたまた、世界中の原発や核兵器が忽然と消滅するのでしょうか?

分からないもの、イメージしにくいものに向けて何かをする、ということは人間なかなか難しいものです。次元が上昇する、ということは字面だけで考えても「今まで経験したことも認識したこともない境地が拓ける」ということであるはずで、現状生きているうえで活用している感覚を超えた“何か”が新たに展開するということでありましょう。

今までワタクシは漠然と、「アセンションとは世の中が愛で満ち溢れ苦しみがなくなる」ようなものではないかとフンワカ考えてはいたのですが、もしかしたら「愛や苦しみ」なんて言う、既に認識出来ている感覚などとは全く異なる、今現在私達が知り得ない感覚の世界になるということかもしれません。

ということは、ある意味「考えてもしかたない」のでありまして、ワタクシなどの夢見る夢子ちゃんはただただ愚直に“よき世になりますように”と祈るに徹することがふさわしいような気もしてきました。どうなるか分からないのなら、「よくなりますように」とただ祈れ、ということでしょうか?結果が分かっている試合をするのは八百長と言いますものね!分からないながらに最善を尽くす、これが今のところ人の世のベストなスタイルなんだし。

とにかく、世界中に色んなことが起き、人の意識が少しずつ変化しはじめている2015年の春。アナタやワタクシの“世界”が無事にアセンションして、素敵な日常を送り出しますように。そしてもし、「我、アセンションに成功した者なり!」という方がいらっしゃったら、是非a.k.めのほうにこっそりとご一報下さいませ … ( 結局のところどんなものか知りたい )

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コラム/私の幸せも大事だけど、それってつまりこの世が平和でなくてはどうにもならん by a.k(2015/02/12)

「私の幸せも大事だけど、それってつまりこの世が平和でなくてはどうにもならん。」

皆様、ごきげんよう。

いやはや「ごきげんよう」だなんて久しぶりに口にしちゃいましたよ!?
数ヵ月前はあれだけ毎朝「花子とアン」を観ては三輪様の「ごきげんよう…、さようならぁ~ん」を真似して連呼していたというのに…。時の経つのは早いものですねぇ。今じゃすっかり「エリー党」のa.k.です。
エリー役のシャーロットさん、本当に素晴らしいですよね…、日本語解らないままやられている(とはいえ、そろそろ掴みはじめてることでしょうけれど…)というのが信じられないくらい、「マッサン」のなかで抜きん出て演技も素晴らしいですもんね!何度彼女の優しい眼差しに癒されたことか…!彼女の放つ、「マッサン、ドアホゥ!」にすら、ウットリ…です。(←完全に個人的趣味)

さて、アメリカ人のシャーロットさんがこの国で奮闘されているさまに毎朝感動しながら、今年2015年は否応なしにグローバリズムのなんたるか、を自分の肌でも感じずにはいられない、そんな時期が来ている気がしているのですが、皆様の感覚としては如何でありますか?

今まで自分と自分に関係する人々の幸せだけを気にして生きていた私a.k.なのですが、よくよく考えたらこの人生の多くは「この時代の日本に生まれた」からこそ享受しているものであるのだなぁ、と今更ながらに自分の無自覚っぷりに驚いております。

先だっての国際的な「人質事件」を発端にして、少しだけ世界の成り立ちを垣間見た気がしています。
世界って、本当に良くも悪くも“繋がって”いるんですねぇ…

よくスピリチュアルな世界での論調として、「自分が幸せでありたいのならば、わざわざニュースなどの暗くなる情報に触れてはならない」なんて言うのを耳目にするのですが、そしてそれは全くの通り、そうではあるのですが、しかしこの世は「ひとつなぎ」…。よく言われる“アセンション”とやらも、全くの個人だけで本当に可能なのかしらん?と、国際情勢を見ているとスピ界の論理の穴のようなものを感じずにはいられない只今のワタクシです。

どうぞ、この辺りの見識と実感に富む御仁に、ワタクシめの漠とした不安と疑問を取り払って頂きたい!!
お願い!なんだかんだあっても、結局のところ大丈夫って言って!!


ゼイゼイ…
すみません、思わず取り乱してしまいました…

ね?
やっぱり2015年は良くも悪くもアグレッシブ、激動を象徴する年でしょう?…え?それはお前だけだろ、ですって?

マジ?


まぁ何にせよ、このように自分のことに関係ない事柄が気になって仕方がない、というのが既にワタクシにとってはどえらい変化でありまして、新聞はとっていてもほぼペットのウサギのゲージの掃除用、そのウサギも亡き今に至ってはただただ新聞屋さんに断り辛いから、というだけの理由であるくらい社会情勢に関心がないワタクシがですよ、毎晩「報ステ」観ては心を痛めているという有り様は“人が変わった”としか言い様のないレベルなんです(当社比)。

それでですね、だから何よと言われても返答に困るのですが、ワタクシの平穏な日々はそれだけでまず神に感謝するレベルなんだなぁ…ということを、ようやくこの頃になって気付いてきた、ということを述べたかった次第なのです。

例え、このお正月にまた一回り過剰な肉衣を身につけてしまったとしても、例え、なかなか思うように仕事がうまく回らない、なんてことがあったとしても、また例え、facebookにアップしてもいいと思えるほどの自撮り写真が全然撮れなかったとしても…(コラコラ)

でも真面目なはなし、とおい国のことであれなんであれ、世界はひと繋ぎである以上、遠方で起きた物事の余波はそのうち地球をぐる~り一回りしていくことでありましょう。
天気図で見ていると、昨日は遠くユーラシア大陸にあった雲が今日は日本上空に流れてきている、なんていうことと同じように…

だからこそ、スピ界も自己満足に終わらない意識改革の波を起こさねばならない時が来てるのでしょうね。
いや、“波を起こす”なんて気張らずとも、そういう意識で在ることの出来る人々がそろそろある一定数、閾値に達していくのかもしれません。
それからのアセンション…、地球上にいる人ならば“もれなく”預かれる栄誉でありますように。

「全プレ」(応募者全員プレゼントね)が出版社や企業に出来るのならば、“神様”にはもっと壮大なる「全プレ」をお願いしても罪にはならないと思ったりしている、二月のa.k.でありました。

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コラム/2015年、明けましておめでとうございます by a.k(2015/01/08)

「2015年、明けましておめでとうございます」

湯島易を訪れる善男善女の皆様、新年明けましておめでとうございます!

明けましたね~
いやぁ、見事な明けっぷり!イヨッ、2015年!イヨッ、未年!



……、まあ新年というものはどうしたってテンションが上がってしまうものですよね。これがなんでもない月またぎだったりしたら「シ~ン…」てなもんです。逆に「はあ?新年?別にぃ」なんて斜に構えてアンニュイぶったりなんてしちゃう奴は…友達なくしちゃいますよ!心配!そんなアナタがa.k.は心配よっ

ここは年明けの暴走族ばりにパラリラパラリラと理性のたがを外さんばかりのはしゃぎっぷりのひとつも欲しいところ!そしてそのはしゃぎっぷりが人様に御迷惑にならない程度に調節出来るのがイカした大人というものでしょうか…(気をつけよう…筆者は興奮するとよく周りに迷惑レベルの大声出しちゃうから…)

何が言いたいのかと申しますと、嬉しい時は嬉しがる、楽しい時は楽しがる、ちゃんとその折々の感情を表すということが自分にとっても周りの人にとっても自然でよろしいことのような気がしますので、そうした「感情」をもう少し大切に生きてみようかな、ということなのです。ほら、感情って「いま」のわたし自身の有り様そのものでしょう?名前や肩書きや役割を越えた、只今のわたし自身を自分が認識できる唯一のもの、それが感情ですものねぇ?つまりはそれ、その感情をきちんと味わう、感情と共に居ることこそ「いまここ」に在る、ということではないかしらん、と思うに至りましたの。オホホ。

ということで、年明けから偉そうに一説ぶっちゃいましたが、ワタクシめの2015年のスローガンが「メイクドラマ!自分の感動は自分で起こせ!」という、非常に前向きかつ野心的なものですので、ちょっぴ~り熱くなっちゃったワ・ケ☆

因みに昨日は年明けsaleに沸く松屋銀座で新年早々お財布をなくし(その後無事に戻ってきました)、松屋の店員さん達を巻き込んだハラハラドキドキのドラマをメイクしちゃいましたし、そのあとの抽選会では当たりをひくしで、今のところスローガンに偽りなし!な日々を送っております。。

それでは皆様!!
本年も皆様にとって最高に素晴らしい日々となりますように!そしてこのa.k.コラムもどうぞ温かい目でお見守り下さいますよう、よろしくお願いいたします。

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